17世紀初頭ドイツ北部にあった小さな町の領主Gunter家が所蔵する驚異のコレクションは山あいの小さな町には似つかわしくない収蔵量である。
当時のギュンター家当主コルネリウス・ギュンターは医者であり博物学者であった。コルネリウスにはアンセルマというとても美しい娘がいた。アンセルマが物心つく前に彼女の母親は肺結核で亡くなり、コルネリウスの蒐集はそこから始まったということである。
ある時コルネリウスの友人「クラウス・マイヤー」が屋敷を訪れた。クラウスはコルネリウスの大学時代の同級生だが医者にはならず世界各地を探検しながら珍しいものを買い付けヨーロッパ中の貴族に売り渡すバイヤーであった。
クラウスの渡航費をコルネリウスも出資していたことから、帰国するとまずギュンター家を訪問する。コルネリウスとアンセルマもクラウスの帰国をいつも心待ちにしているのだった。
この日クラウスは掌に収まるほどの小さな箱をテーブルの上に載せた。
「これはね、ちょっと珍しいよ。まずこの箱は『桐』という木でできているらしい」
コルネリウスは小箱を手に取った。不思議な香りのする白くて滑らかな木肌であった。
コルネリウスから箱を受け取ったクラウスは蓋を開けながら言った。
「問題は箱の中身でね・・・正直君にこれを渡す事には若干のためらいがあるんだ。東洋に日本という国があってそこの漁師に譲ってもらったものなんだが、なんでも人魚の下顎だというのだよ。日本に生息している人魚はその肉を食すと不老長寿になると言われていて将軍に献上すると一族が末代まで食っていける程の富を得る事ができるらしい。しかし肉を食べれば不老長寿になるが骨は・・・特に下顎の牙は良くないのだと皆が口を揃えていうのだよ。その牙に触れたものは人ではないものになってしまう・・・つまり死んでいながら生きることになるというのだ」
コルネリウスは笑った。
「クラウス、君だって元々は医者じゃないか。そんなものその牙に何かしらの毒物が塗布してあるのだろう?それは私に対する挑戦かね?よろしい。その毒物を分離特定してみせようじゃないか」
クラウスは真顔で続けた。
「コルネリウス、君の好奇心には毎回敬服している。しかしくれぐれも気をつけてくれたまえ。未開の地にはまだまだ我々の知らない文化と風習、未発見の動植物は勿論、未知の細菌やウィルスが山ほど存在するのだから。取り扱いはくれぐれも慎重に行ってくれ」
怖がっているアンセルマに気づいたクラウスが跪いた。
「アンセルマお嬢さん、こんな物騒な話ばかりで申し訳なかったね。南米のコロンビアで上等なサファイアの原石を買い付けたのでね、職人に加工してもらってきたよ。」
クラウスはポケットからビロードの巾着を取り出しその中身を掌に開けた。
「まあ綺麗!!」
喜ぶアンセルマに微笑みながらクラウスはアンセルマの首元にサファイヤのブローチを留めた。
「叔父様ありがとう!大切にするわ!」
その夜アンセルマが就寝しようと飼い猫の「ニヒト」を探していた。標本室の前を通りかかった時に扉の向こうで物音が聞こえた。標本室は危険な蒐集品も多いため普段は鍵が掛けられているのだが、アンセルマが通りかかったときドアは少し開いていた。
「お父様ったらきっと叔父様が持ってきたコレクションを仕舞ってそのまま鍵を掛けなかったのね。ニヒトはここに入ったのだわ」
アンセルマは燭台の光を頼りに扉を開けて進んでいった。
猫の鳴き声がして振り返ったアンセルマに桐の小箱が落ちてきた。箱は机の角に当たって蓋が壊れ、アンセルマ目掛けて人魚の下顎が降ってきた。
床に落ちた人魚の下顎を見たアンセルマは言葉を失った。額から一筋の血が流れていた。
ドイツ北部にある小さな町の領主ギュンター家が所蔵する驚異のコレクションは計り知れない。中央に展示された椅子に座って「眠る少女」はこの度この会場に集められたギュンター家の驚異のクションで一番重要な展示品である。
アンセルマ・ギュンターが死んでいるのは明白である。しかし彼女は生前の美しさを保ったままなのだ。どのような機構でこのような現象が起きているのか?現代科学を持ってしてもまだ解明する事ができない。
彼女は永遠に夢見るように死に続けるのである。
fin